おばばのブログ

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中学受験生の子どもとの向き合い方!(「二月の勝者」の名場面などを参考に)

今回は、中学受験生の子どもとの向き合い方について、「二月の勝者」の名場面や「折々のことば」などを参考に書いてみます。

 

朝日新聞デジタルを読んでいたら、「折々のことば」で、こんな言葉が紹介されてました。

 

「親になるとは、許されることを学ぶことなのだ。」

(「自分と他人の許し方、あるいは愛し方」(三砂ちづる))

 

どんな意味なんだろう?

「折々のことば」を書いている鷲田さんによると、三砂さんは、次のようにも言っているとのことです。それで、意味が分かりました。

 

「親はよくまちがう。よかれと思ってしたことが子どもを傷つけた、痛めつけていたと悔やむことが本当によくある。だから、欠点だらけの「私」を許してほしいと祈るような思いでいる。子どもから許しを得ることで、自分の親も「間違えだらけで欠点だらけのただの男と女だった」と許せるようになる。」

 

共感します。

この言葉の気高さと比べると卑近な例ではありますが、夜、子どもが塾の算数のテキストをやっていて、解けなくて、泣きそうになって、やる気をなくした時がありました。

 

「泣きそうになって、やる気をなくしても、問題が解けるわけじゃないよ。大変でも、気持ちを切り替えて、粘り強く、解けるまで頑張って!」

といって、ピヨ太が、いつもより寝るのが遅くなって。

 

「まだ5年生。昨晩、あんなこと言わないで、すぐ寝させてあげれば良かったかなあ。」

と後悔したことがありました。

 

この時、「二月の勝者」のある名場面を思い出しました。

だいたい、こんな感じの話です。(記憶で書いてるので、少し違うかも。)

 

「塾に通う島津君がスランプに陥って、勉強する気を無くします。成績が落ちていきます。そして、親が、『こんなことじゃあ、とても志望校に受からない!』と子どもを責め立て、追い込んでしまいます。」

 

「でも、考えてみると、子どもを追い込んで無理やり勉強させることが、本当に子どものためなのか。そういえば、子どもが生まれたときは、健康なだけで、神様に感謝した。子どもが、一つづつ、色んなことを覚えるたびに、『本当によく覚えたね!』と喜んだものだった。いつから、子どもに対して、『もっと、もっと!』というようになったんだろう。」と泣き崩れる場面です。

 

ピヨ太は、まだ5年で、追い詰めるまで勉強させることはありませんが、それでも、塾の課題をやらずにのんびりしていると、「やらなくていいのかな。」と心配になってしまいます。

自分が、同じ年の頃を思い起こすと、ピヨ太より全然勉強量が少なかったのに。

でも、勉強しないと、皆に置いていかれるし。

 

こんな考えを巡らせていたら、ふと、塾の国語の文章が目に入りました。

次のような、話でした。

 

「ある美術評論家が、ある「鮎」の絵について、「鮎」で有名なF画伯の絵なのか、贋作なのか、相談されました。その絵が非常にすばらしかったので、評論家は、「F画伯の絵に違いない。F画伯の『箱書き』(描いた本人が箱に署名すること)をもらってきてあげよう。」ということになりました。」

 

「美術評論家が、その絵をF画伯に見せると。「これは自分の絵ではありません。なぜなら、この絵は、うますぎます。」とのこと。」

 

「自分(F画伯)が絵を描くときは、色々迷いながら書きます。ところが、この絵は、線に迷いがない。自分の絵を見ながら、誰かが書いたに違いない。」

 

「でも、絵というのは、迷いながら、努力して描いたところに、良さがでるんです。」

 

「ある新人作家は、どうすれば良い作品を書けるのか悩んでいた。だけど、その美術評論家からF画伯の話を聞いて、『F画伯ほどの人でも、迷いながら、努力して描いている。新人の自分は、自分のできる限りで努力して書けばいいじゃないか。』と迷いが吹っ切れた。」

 

こんなお話でした。

良いお話だと思います。

 

子どもの受験勉強に、親として、どのようにすべきなのか、正解は無いと思います。

それならば、子どものためを思って、迷いながら、自分でできる限りのことをやっていけばいいんだ。

そして、できるだけ子どもに寄り添っていこう。

 

そんなふうに思いました。

 

今回は、ここまでです。

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