5年生後期・第3週が終わりました。
ヘトヘトです。
歴史がゼロから・・。
これが地味に響いています。
NHK for School 「歴史にドキリ」で予習
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校舎の授業
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栄冠、という流れでやっています。
今週は、「古墳」やら「聖徳太子」やら「大化の改新」やら「壬申の乱」。
ぎゅぎゅぎゅっと詰まっていましたね
ピヨ太は、本当にゼロからなので、一気に覚えてごちゃごちゃですが、よく頑張っています。
第1週のナウマン象やモースさんの時代が懐かしい。あの頃は良かったなあ。
【和歌で読み解く歴史】
ここから先は、おばばの趣味の歴史記事です。
【興味のない方は、読み飛ばしてください。】
______大化の改新
中大兄皇子と中臣鎌足が出てきますね。
この中臣鎌足が、大化の改新の立役者。
若い頃から秀才の誉れが高かった鎌足。もともとの家業は祭官ですが、それを固辞して、蘇我氏体制打倒の機会を伺っています。
その為に擁立する皇子を探し、軽皇子(孝徳天皇)に近づいた後で、中大兄皇子に狙いを定め、接近。
協力して、クーデターを果たします。
大化の改新後、中大兄皇子(天智天皇)の信頼は厚く、内大臣まで昇りつめ、亡くなる前日に「藤原」姓を賜りました。
この「藤原」姓は、その後、日本の歴史の最大氏族となります。
鎌足の次男が、藤原不比等です。大宝律令編纂において中心的な役割を果たしました。(来週の授業で出てきますね。)
不比等の息子たちが4つの家を興します(北家 南家 式家 京家)。
その後、北家の力が強くなり、平安時代に栄華を築いた藤原道長も、ここから出てきます。
鎌倉時代には、この藤原北家から五摂家(近衛家 九条家 二条家 鷹司家 一条家)に分かれ、この五摂家は貴族の身分がなくなった現在も続いています。
近衛家からは、内閣総理大臣も出ていますね。
中臣鎌足と中大兄皇子の話に戻ります。
中臣鎌足が詠んだ歌は、3首残っています。
そのうちの、1首。
われはもや 安見児(やすみこ)得たり
皆人の 得難にすとふ 安見児得たり
僕は【やすみこ】さん👩をゲットしたよ!
高嶺の花の【やすみこ】さん👩ゲットだよ!
(おばば 訳)
歌の出来はどうかと思いますが、嬉しさだけはめちゃめちゃ伝わってきます。
やすみこさんは、采女(うねめ)です。
采女というのは、地方の豪族が、一種の人質として、天皇に献上した娘さん達の「官職」。
采女は、天皇の食事の配膳が主な業務でした。
10代~20代で容姿端麗であることが条件。天皇の妻妾としての役割を果たす者も多かったようです。
天皇の妻となる資格を持つので、采女への恋は命をもって償うべき禁忌でした。
ともに大化の改新を果たした天智天皇(中大兄皇子)から采女を賜ったということは、中臣鎌足は、それだけの特別な計らいを受けたということです。
高嶺の花の「やすみこ」さんを得た嬉しさはもとより、それを賜るくらい天智天皇に厚遇されている自分の力を誇示している歌でもあるのかも知れません。
それしにても、現代の感覚でとらえると、采女をあげるだのもらうだの、物として扱っているイやな感じは残りますね。
_______壬申の乱
さて、大化の改新を行った天智天皇(中大兄皇子)が亡くなった後、弟(大海人皇子)と息子(大友の皇子)の間で、叔父 VS 甥の跡目争いが起こります。
壬申の乱ですね。
ここを制した大海人皇子が天武天皇となります。
こんな展開を予想していたのかどうかは分かりませんが、生前の天智天皇(中大兄皇子)と弟の大海人皇子の間には、一人の女性をめぐって三角関係の歌が詠まれています。
女性は、額田王(ぬかたのおおきみ)。
和歌の名手で、12首残っています。
おばばの一番好きな歌は、これ。
熟田津に 船乗りせむと 月待てば
潮もかなひぬ 今は漕ぎ出でな
力強い詠みっぷりですね。
この額田王が、大海人皇子に詠んだのが、次の歌です。
茜指す 紫野行き 標野(しめの)行き
野守は見ずや 君が袖振る
君は、大海人皇子。
袖を振るのは求愛を示します。
大海人皇子の求愛行為を、野の番人(兄の中大兄皇子)が見ていないだろうか?という、ハラハラする恋の歌。
大海人皇子の返歌は、これ。
紫の 匂へる妹(いも)を 憎くあらば
人妻ゆゑに 我恋ひめやも
妹(いも)は、愛しい女性への呼称。
美しいあなたが憎いのならば、人妻なのになんで恋をするだろうか、という激しい歌ですね。
現在なら、文春砲がドーンと放たれるスキャンダル!
ですが、これは宴席の座興で詠まれたという説が、現在では有力のようです。
ただ、兄弟間に漂う緊張感は感じられますね。
実際に、兄の没後、弟が兄の子を倒して政権を得たことを思うと、座興の中にもギラギラした思いが見え隠れするような気がします。
今回は、ここまでです。