今回は、高村光太郎の詩集、「智恵子抄」の中のレモン哀歌についてです。
この前、ピヨ太と国語をやろうということになったんですが、
「疲れたから、詩なら文章も問題も少ないから、詩がいい!」
ということで、6年の「栄冠への道」の第33回にある、高村光太郎のレモン哀歌をやってみることにしました。
読んでみると、すごい詩ですね。
そういえば、中学生か高校生の時にも読んだなと、記憶が蘇ってきました。
その時も印象的な詩だとは思いましたが、今回ほどの感動はなかったと思います。
年を重ねる中で、失うことの恐ろしさや貴重な一瞬の大切さが、子どもの頃よりは、分かってきたからなのかもしれません。
特に、大人の場合、
・福島の故郷を離れて東京で暮らすうちに、智恵子が精神を病んでしまったこと
・高村光太郎が、精神を病んで子どものような言動をする智恵子を全力でサポートしたこと
・智恵子が結核になって、亡くなる直前であること
といったことも前提に読んでみると。
智恵子の今わの際、レモンをかじって正常な意識をとりもどし、生涯の愛を一瞬の間、光太郎に伝えてから、深呼吸を一つして息絶えた、その場面では、悲しみと最後の一瞬の尊さに、思わず涙がこぼれそうになります。
このように忘れていた名作に、思いがけず出会えると、子どもの国語の勉強につき合ってよかったと思います。
(ピヨ太にも、この詩のインパクトを説明してみましたが、小学生には実感しにくいようでした。)
レモン哀歌
高村光太郎
そんなにもあなたはレモンを待つてゐた
かなしく白くあかるい死の床で
わたしの手からとつた一つのレモンを
あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ
トパアズいろの香気が立つ
その数滴の天のものなるレモンの汁は
ぱつとあなたの意識を正常にした
あなたの青く澄んだ眼がかすかに笑ふ
わたしの手を握るあなたの力の健康さよ
あなたの咽喉に嵐はあるが
かういふ命の瀬戸ぎはに
智恵子はもとの智恵子となり
生涯の愛を一瞬にかたむけた
それからひと時
昔山巓でしたやうな深呼吸を一つして
あなたの機関はそれなり止まつた
写真の前に挿した桜の花かげに
すずしく光るレモンを今日も置かう
今回は、ここまでです。