6週目の学習が終わりました。
2週間分の学習力育成テスト、今週末は3回目です。
算数は、「比」の2週目。
オプ活の最後の方は、「比」を使った複雑な文章題でした。少しずつ難しくなってきましたね。
第8回は「濃度と比」。第9回、第10回は面積比、相似比。
この辺りからは、算数に一番力を注ぐ期間となりそうです。
理科は、「電磁石」と「音」。
どちらも、しっかり理解できていないと解けない問題が出されそうですね。
ピヨ太は、低学年の頃に見ていたEテレの「大科学実験」という番組の効果もあったのか、比較的順調に本科、栄冠に取り組んでいます。
大科学実験は10分の番組ですが、その名の通り、大掛かりな実験で目に見えて分かりやすく、小学生が楽しく見る理科実験番組として良いと思います。
「NHK for School」のホームページでも、オンデマンド配信されています。
社会の歴史は、平安時代から鎌倉時代へ、貴族から武士へと政権が移っていく時代でした。
朝廷や地方の政治の乱れから、各地で争いが増えました。
地方で起きた乱を鎮めた平氏、源氏などの武士が勢力を持つようになります。
藤原氏が力を失ってきた宮廷では、白河上皇による院政が始まります。
その後、平清盛の全盛期を経て、源氏が平家を滅ぼし、源頼朝が鎌倉幕府を開くまでが、第6回の学習でした。
富士川、倶利伽羅峠、一ノ谷、屋島、壇之浦と続いていく源氏と平氏の戦いは、源義経の物語でも有名で、子どもが興味を持って学べるところかもしれません。
ところで「平家にあらずんば人にあらず」というのは、平氏の驕りの象徴として有名な言葉ですが、これを言ったのは平家の全盛期を築いた平清盛ではなく、平清盛の義弟の平時忠だそうです。
平時忠は、妹が後白河上皇の妃、姉が平清盛の正室でした。
つまり、姉妹が二大権力者へ嫁いでいます。
そして、清盛の娘(時忠の姪)が、高倉天皇の后となります。
皇子が生まれて天皇になれば、いよいよ、平家が天皇の後見人となり、盤石の地位を築く一歩です。
時忠は、平家の栄華を讃えて「一門にあらざらん者はみな人非人なるべし」と言い、それが後に「平家にあらずんば人にあらず」と現代語訳されました。
「人非人」は、宮中で出世できないという意味だったそうです。
今ふうに言うと、何でしょうか?
「おばばにあらずんば、おじじか。」
違いますね。
「俺か、俺以外か。」
(ローランドさんの名言)
こんな感じでしょうか。
清盛の死後、後白河法皇は平氏追討宣旨を下し、平氏は官軍から賊軍に転落。
源義経との戦いの中、西へ西へと追われていきます。
ついに平氏が滅びた壇之浦の戦いで、源氏の捕虜となった時忠は、能登へ流罪の判決を受けます。
そこで、時忠。
何と!
敵方の源義経に、自分の娘を嫁がせて、何とかしようとします。
無事に、義経に守られて、都に残留。
ホッと安心したのも束の間、頼朝と対立した義経は、朝敵として追われる身に。
義経がいなくなり、立場の弱くなった時忠。
あきらめて、自ら配流先の能登国へ赴きます。
当時の能登守は、平家一族と親しかった藤原氏。
時忠は、能登国で丁重に扱ってもらえたようです。
家族は都に残りました。
娘は後鳥羽天皇の典侍(側近の女官で妻妾となることも多い)になりました。
平時忠。
姉は平清盛の正室、妹は後白河上皇の妃へ。
清盛のもとで、平家の栄華を味わいます。
平家が滅びた後は、娘を敵方の源義経へ嫁がせ、もう一人の娘を後鳥羽上皇へ。
その時々の権力者と姻戚関係を持ちながら、生きながらえていきます。
娘の嫁ぎ先に、義経ではなく頼朝を選んでいたら、どうなったのでしょうか。歴史が代わったかもしれないと考えるのも面白いです。
そんな平時忠の発言の現代語訳が、
「平家にあらずんば人にあらず」なんですね。
今回は、ここまでです。