おばばのブログ

2022年中高一貫校へ進学。大学受験(2028年)。東進スーパーエリートコース受講中

5年後期6週・比と音と武士の始まり

6週目の学習が終わりました。

 

2週間分の学習力育成テスト、今週末は3回目です。

 

 

算数は、「比」の2週目。

オプ活の最後の方は、「比」を使った複雑な文章題でした。少しずつ難しくなってきましたね。

第8回は「濃度と比」。第9回、第10回は面積比、相似比。

この辺りからは、算数に一番力を注ぐ期間となりそうです。

 

 

理科は、「電磁石」と「音」。

どちらも、しっかり理解できていないと解けない問題が出されそうですね。

 

ピヨ太は、低学年の頃に見ていたEテレの「大科学実験」という番組の効果もあったのか、比較的順調に本科、栄冠に取り組んでいます。

 

大科学実験は10分の番組ですが、その名の通り、大掛かりな実験で目に見えて分かりやすく、小学生が楽しく見る理科実験番組として良いと思います。

「NHK for School」のホームページでも、オンデマンド配信されています。

 

 

社会の歴史は、平安時代から鎌倉時代へ、貴族から武士へと政権が移っていく時代でした。

 

朝廷や地方の政治の乱れから、各地で争いが増えました。

地方で起きた乱を鎮めた平氏、源氏などの武士が勢力を持つようになります。

  

藤原氏が力を失ってきた宮廷では、白河上皇による院政が始まります。

その後、平清盛の全盛期を経て、源氏が平家を滅ぼし、源頼朝が鎌倉幕府を開くまでが、第6回の学習でした。

 

富士川、倶利伽羅峠、一ノ谷、屋島、壇之浦と続いていく源氏と平氏の戦いは、源義経の物語でも有名で、子どもが興味を持って学べるところかもしれません。

 

 

ところで「平家にあらずんば人にあらず」というのは、平氏の驕りの象徴として有名な言葉ですが、これを言ったのは平家の全盛期を築いた平清盛ではなく、平清盛の義弟の平時忠だそうです。

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平時忠は、妹が後白河上皇の妃、姉が平清盛の正室でした。

つまり、姉妹が二大権力者へ嫁いでいます。

 

 

そして、清盛の娘(時忠の姪)が、高倉天皇の后となります。

皇子が生まれて天皇になれば、いよいよ、平家が天皇の後見人となり、盤石の地位を築く一歩です。

 

時忠は、平家の栄華を讃えて「一門にあらざらん者はみな人非人なるべし」と言い、それが後に「平家にあらずんば人にあらず」と現代語訳されました。

「人非人」は、宮中で出世できないという意味だったそうです。

 

今ふうに言うと、何でしょうか?

おばばにあらずんば、おじじか。

違いますね。

 

俺か、俺以外か。

(ローランドさんの名言)

こんな感じでしょうか。

 

 

清盛の死後、後白河法皇は平氏追討宣旨を下し、平氏は官軍から賊軍に転落。

源義経との戦いの中、西へ西へと追われていきます。

ついに平氏が滅びた壇之浦の戦いで、源氏の捕虜となった時忠は、能登へ流罪の判決を受けます。

 

そこで、時忠。

何と!

敵方の源義経に、自分の娘を嫁がせて、何とかしようとします。

 

無事に、義経に守られて、都に残留。

ホッと安心したのも束の間、頼朝と対立した義経は、朝敵として追われる身に。

 

義経がいなくなり、立場の弱くなった時忠。

あきらめて、自ら配流先の能登国へ赴きます。

 

当時の能登守は、平家一族と親しかった藤原氏。

時忠は、能登国で丁重に扱ってもらえたようです。

 

家族は都に残りました。

娘は後鳥羽天皇の典侍(側近の女官で妻妾となることも多い)になりました。

 

平時忠。

 

姉は平清盛の正室、妹は後白河上皇の妃へ。

清盛のもとで、平家の栄華を味わいます。

 

平家が滅びた後は、娘を敵方の源義経へ嫁がせ、もう一人の娘を後鳥羽上皇へ。

 

その時々の権力者と姻戚関係を持ちながら、生きながらえていきます。

 

娘の嫁ぎ先に、義経ではなく頼朝を選んでいたら、どうなったのでしょうか。歴史が代わったかもしれないと考えるのも面白いです。

 

そんな平時忠の発言の現代語訳が、

「平家にあらずんば人にあらず」なんですね。

 

 

 

今回は、ここまでです。

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