おばばのブログ

2022年中高一貫校へ進学。大学受験(2028年)。東進スーパーエリートコース受講中

東大入学辞退者の行方について

今回は、東大入学辞退者の記事についてです。

 

去年のアエラの記事ですが、2021年の東京大学の入学辞退者(合格したが、入学手続きを取らなかった人数)は9人であったとのこと。

 

ちなみに、入学辞退者の少ないランキングでは、京都大学、東京芸術大学、東京大学、一橋大学の順で、ここまでは99%以上の合格者が入学しています。

 

記事では、「東京大学の入学辞退者は、ではどこの大学へ進学したのか」ということと、「1950年代からの東大入学辞退者の行方の変遷」の2つについて書かれていました。

 

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「え?東京大学に合格したのに辞退しちゃうの!?」と、思ってしまいますよね。

 

 

では、2021年の東大入学辞退者は、どこへ進学したのか。

 

早速、おじじに質問形式で出してみると。

 

「う~ん。海外大学とW合格して、そっちへ行ったとか??それから、医学部へ行きたいから、他の大学の医学部進学を選んだ、とかかなあ。」

 

 

2021年の辞退者の内訳は。

 

文科と、理科Ⅲ類はゼロ。

 

理科Ⅰ類3人、理科Ⅱ類6人となっています。

 

理科Ⅰ類、理科Ⅱ類の入学辞退者のほとんどが、他大学の医学部へ。中でも、慶應大学医学部の人気が高く、この傾向は半世紀近く変わっていないそうです。

 

 

「辞退するくらいなら、初めからその日程で他の大学の医学部を受ければ良いのでは?」とも思いますが、そこは受験生の揺れる心情があるそうです。

 

●理Ⅲ志望だったが、センター試験(大学入学共通テスト)の点数が悪かったため、理Ⅰ、理Ⅱに志望を変更。合格したものの医師の夢は捨てきれず、他大学医学部へ進んだ。

●やっぱり最高峰の「東大理III」に行きたいという気持ちが強く、(理Ⅰ、理Ⅱには)入学せず、(理Ⅲに)再挑戦する。

●医師になりたいと思う気持ちが高まり、後期日程で国立大学医学部を受験、あるいは浪人して再挑戦する。

 

などのケースがあるそうです。

 

「東大には合格したけど、どうしても医者への夢をあきらめられない。」

そんな強い気持ちで医者を目指す方には、ぜひその夢をかなえて頂きたいと応援したいです。

 

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【東大入学辞退者の変遷】

 

では、1950年以降を変遷をみてみると。

 

最多のケースは、やはり他大学医学部への進学。1970年代からは顕著な現象だそうです。

 

東大入学辞退者は、1971年19人、72年22人、73年31人、74年35人、75年46人、76年49人と、年々増えていきます。

これには、1969年の東大闘争の影響が考えられるとのこと。

 

その後、1979年の共通一次試験の実施、つまり、国公立大学入試の一本化によって、東大入学辞退者は減ります。

 

 

〇東大、京大ダブル受験可能時代

 

また、1987、88年はA日程・B日程という連続方式の入試制度のもと、東大、京大の入試日程が別々になり、両大学をダブル受験できました。

京大志望の関西の受験生が、記念受験で東大を受け、東大は87年290人、88年は381人の辞退者を出したそうです。

 

 

ここからは、現在ではあまり考えられない、その時代ならではのレアケースをみていきます。

 

 

〇病気による進学断念


1950年代、結核など重い病気を患って長期静養が必要とされたことで東京大学をあきらめた。

 

―――戦後は栄養不足から結核にかかった方も多かったようです。祖父母世代などの親戚内では、結核の話も一つ二つは聞きます。

 

 

〇経済的理由で進学断念


1950年代、家族を養うため、東京大学をあきらめた。

 

―――現在でも、経済的理由から大学進学をあきらめざるを得ないお子さんもいることと思います。1950年代とは言え、経済的理由から東京大学進学をあきらめなけらばならないなんて、どれほど悔しかっただろうと思います。

 

 

〇合格発表の見誤り


自分の受験番号を誤って覚えていたため、合格しているのに見落とした。合格発表が受験番号と氏名の掲示から、受験番号のみに変わった1990年代以降にいくつかの報道があった。

 

―――う~ん。これは辛すぎます。

中学受験でも起こり得ることですね。中学受験では、入学手続きの不備(締切日を過ぎてしまった)等の親のミスにより入学を逃してしまうケースも毎年あると聞きますので、これから受験を迎えるご家庭は、くれぐれもご注意ください。

 

 

〇塾、予備校の興隆で、講師が受験


力試しもあるが、東大受験生に教えるため、実際に受けた。

 

―――受かって辞退する、塾の先生。これは、すごいですね!

 

 

 

〇恐喝と公害

 

「受験で行ってみたら、東京の空気が悪かった」

「東京で恐喝にあって、東京は住めるところではないと思った」

という理由を挙げて、地元の国立大学に進学した学生もいたそうです。

 

 

 

〇親の反対で進学断念


地方の女子高校生が合格。しかし、親は一人で東京で生活させることに大反対して、地元の国立大学に進んだ。1960年代までのレアケース。

 

―――男の子であれば進学させてもらえた東京大学に、女の子は下宿代をかけてまでは進学させてもらえなかった。この悔しさもまた、どれほどのものであったかと思います。

 

これは、1960年代までのレアケースとは書かれていますが、皆さまのご家庭ではいかがでしょうか。

 

親が、子どもの進学に際し、男子を女子よりも優先するという風潮は、それほど昔のことではないのではないかと思います。

昔は今よりも兄弟の数が多かったので、全員に教育費をかけられないという事情もありました。

 

 

これは、おばばのお母さんの個人的な話になります。

 

男も女もいる、たくさんの兄弟の中で育った母です。

厳格な祖父(母の父)で、「女の子は大学に行く必要はない。」とはっきり言われるほど、男子優先の家庭でした。

男の子達は、中学進学の辺りから、教育にはいくらでもかけてもらえたそうです。中学、高校から、遠くの学校へ下宿しての進学もあったとのこと。

 

一方、祖母は、こっそりと母の大学進学を後押ししてくれたそう。

 

母は、通信教育(Z会)のみで大学受験の勉強をしました。

そして、本命の国立大学(東大ではありません。)の前に、併願の女子大学を受験することに。

 

 

ところが、併願校の受験当日の朝になって。

 

「女子大学なんて、行っても仕方がない。」

と、突然祖父が反対。

 

お願いをしても聞き入れてもらえず、受験を辞退することに。

 

高校の先生に電話をして、

「父に反対されたので、今日は受験できません。」

と、頭を下げたそうです。

 

おばばにこの話をしてくれた時の母は、とても辛そうでした。

 

受験は、本命の国立、一本。

まさに背水の陣でした。

 

合格を知った時、母は祖母と抱き合って、畳を転げまわったそうです。

 

「何ものにも代えがたい、青春の4年間」をそこで過ごした母は、「親が子どもに残せるものは教育のみ」という考えで、子どもの勉強や進学に対しては、全面的に支えてくれました。

 

日本でも、世界でも、経済的理由や、性別による理由で、進学の夢を断たれることのない世界であってほしいと、切に思います。

 

 

 

今回は、ここまでです。

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