ピヨ太が歌を歌っていました。
「ほたるのひかり~まどのゆうき~」
懐かしいですね。
蛍雪の功!
おばばが子どもの頃は、「蛍雪の功」といった言葉の意味と由来を聞いても、ピンときませんでした。むしろ、「古臭い言葉だなあ」、「胡散臭いなあ」と思ってました。
ところが、年を重ねてみると、「蛍雪の功」という言葉の響きとイメージの美しさ、そして、「貧しくても努力を重ねて素晴らしい成果をつかみ取る」といった気高い努力の尊さを伝えるこの言葉に、わずかな感動さえ感じます。
自分が、そのような努力をしてきて、努力の真価を身をもって知ったわけでも全くないのに、大人になって、「いい言葉だな」と感じるのはなぜなんでしょうね。
子どもの頃と比べて、われ知らず、そこそこ苦労をしてきたからでしょうか。
他の方を上回る苦労をしてきたことはないですが、人並み位の苦労はあったとは思うので、そのせいなのかもしれません。
人並み位の苦労はあったと思いますが、「功」と言えるような成果はないですけどね。
それでも、子どもがいて、どのような学校を受験できるかは分からないにせよ、中学受験を目指せるだけで、「功」ならずとも、幸せなのでしょう。
「ほたるのひかり~まどのゆうき~」と歌うピヨ太に、「どんな意味だと思う?」
と聞いてみました。
「うーん。蛍の光は分かるよ。窓の『勇気』は分かんない。」
だめだ、こりゃ!
「蛍の光、窓の雪だよ。昔は電気もなく、勉強や読書のための明かりをとるロウソクや油も買えない貧しい家では、夜、勉強や読書ができなかったの。」
「それで、夏は蛍の光、冬は窓のそばに雪山を作ってわずかな光を得て、勉強するように、貧しい中でも、わずかな機会をとらえて懸命に勉強することで、大変な成果を達成することだよ。「蛍雪の功」とも言うよ。」
「へえー!でも、蛍とか雪山の光じゃ、本当には勉強できないよね。夜は勉強できないんだから、勉強しなくていいんじゃない?」
だめだ、こりゃ!
(ネットで調べると、中国の晋の時代を書いた歴史書から来た言葉とのことですが、今の子どもにとっては単なる店の閉店の音楽で、さみし~い感じを醸し出す曲のイメージなのかも。)
今回は、ここまでです。