おばばのブログ

2022年中高一貫校へ進学。大学受験(2028年)。東進スーパーエリートコース受講中

子どもを中学受験させることに後悔はないのか、について

今回は、子どもを中学受験させたことに後悔はないのか、についてです。

 

以下は、「2月の勝者」第13巻に出てくるエピソードです。

 

中学受験本番。

 

第一志望の学校の校門で我が子を送り出し、その背中を見つめながら、

「なんて大変なことをさせてしまったのだろう。」

と思い、涙をこぼしてしまった母親がいたそうです。

 

そうですね。

 

中学受験に取り組んだら、遊ぶのが仕事のような小学生の時期に、数年間の通塾。

 

受験組でない子が、旅行に行く長期休みも、講習で勉強。

 

テストのたびに点数、順位、偏差値で輪切りにされて、プレッシャーを受け、眠い夜も、目をこすりながら勉強。

 

「勉強しなさい。」とか親から言われて、口げんか。

 

そこまでしても、ライバルもそうやって勉強してきている。

 

第一志望は楽々合格するレベルの学校を選ぶことにならない場合が多いので、結局、そこまでしても、合格しないかもしれない。

 

「本当に大変なことをさせてしまった。」との感想は、心に迫る感じがします。

 

このように考えていた時。

 

ふと、子どもがやっていた詩の問題が目に入りました。

 

吉原幸子さんの最初の詩集、「幼年連祈禱(ようねんれんとう)」の中の「あたらしいいのちに」の冒頭4行です。

 

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おまえにあげよう

 

ゆるしておくれ こんなに痛いいのちを

 

それでも おまえにあげたい

 

いのちのすばらしい痛さを

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goodweatherx.hatenablog.com

子どもは、「いのち」を自分で選択するわけではなく、親の希望で生まれてきます。

 

そして、いったん「いのち」を授かれば、本当に色々な苦労を経験する人生を生き抜いていかなければなりません。

 

そして、そのことついて、母親である吉原さんは、生まれたばかりの子どもに対して、「ゆるしておくれ」といっています。

 

子どもに対して、「ゆるしてほしい」といいながらも、それでも「いのち」=「人生」を、「おまえにあげたい」。

 

それは、「いのち」=「人生」は、大変な苦労もある。

あるけれど、苦労に見合う、すばらしい経験もあるから。

 

そんな、すばらしい経験もできる人生だから、そんな「いのち」=「人生」を「おまえにあげたい」といっているんですね。

 

中学受験も、人生そのものと比較できるものではありませんが、似た面があると思いました。

 

中学受験の勉強は、本当に大変な経験だけども、でも、それに見合うすばらしい面があるのではないでしょうか。

 

もちろん、第一志望に合格した場合は、そのようなすばらしい経験で、中学受験時代の大変な努力は、報われることが多いと思います。

 

それでは、第一志望に合格できなかった場合には。

 

それでも、中学受験を後悔する必要はないのではないでしょうか。

 

「第一志望に合格しなかったから後悔する。」というのは、目標を達成できなかったら、それを失敗と捉えて、やらなければよかったという考え方です。

 

いうまでもなく、人生では、苦労も多く、失敗もあまた。

 

それを後悔するならば、「いのち」=「人生」自体を後悔することになりかねません。

 

成功ばかりの人生なんてありません。

 

失敗をしながらも、日々頑張って生きていく。

 

そうすると、日々、楽しいこと、すばらしいこともたくさん経験できる。

 

中学受験を経験することは、そのような人生を生きていく力をつけてくれるのではないでしょうか。

 

そう考えれば、子どもを中学受験させたことを後悔する必要は、全くないし、結果のみに心をしばられることなく、子どもの成長に貢献する中学受験を受け入れることも可能になるのではないかと思います。

 

最後に、さきほどの詩の全文を載せさせて頂きます。

 

 

あたらしいいのちに

 

吉原幸子

 

おまへにあげよう
ゆるしておくれ こんなに痛いいのちを
それでも おまへにあげたい
いのちの すばらしい痛さを

 

あげられるのは それだけ
痛がれる といふことだけ
でもゆるしておくれ
それを だいじにしておくれ
耐へておくれ
貧しいわたしが
この富に耐へたやうに――

   

はじめに 来るのだよ
痛くない 光りかがやくひとときも
でも 知ってから
そのひとときをふりかへる 二重の痛みこそ
ほんたうの いのちの あかしなのだよ

   

ぎざぎざになればなるほど
おまへは 生きてゐるのだよ
わたしは耐へよう おまへの痛さを うむため
おまへも耐へておくれ わたしの痛さに 免じて

 

――『幼年連祷・1964年・歴程社刊』より――

 

 

今回は、ここまでです。

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