今回は、ビーチサンダルが日本誕生だったことについてです。
これは、朝日新聞beの記事(2023/7/16)に掲載されていたので、ポイントをまとめてみました。
(終戦直後に神戸市で誕生)
・洋の東西を問わず世界中で愛用されるビーサン(ビーチサンダル)が生まれたのは、終戦直後の神戸市長田区だといわれている。
(大正時代からあったゴム草履が前身)
・「兵庫ゴム工業史」(1978年発行)をひもとくと、大正時代には既に、岡山や広島で「ゴム草履」と呼ばれる履物が作られていた。ゲタと同じく左右同型で、ゴムなので水にも強く、丈夫で安価なことから、農村で普及していた。
(米国のレイ氏が改良)
・終戦直後に日本に来ていた米国の工業デザイナーのレイ・パスティン氏が、これに目を付けた。靴と同様に左右違う形にして、素材も軽いスポンジゴムを作っていた神戸市長田区の「内外ゴム」と組んで研究を重ねた。
・そして、ビーチサンダルが誕生して、1950年半ば頃から米国に輸出されるようになった。
(海外で人気沸騰して、日本でも有名に)
・輸出されたビーサンは、1957年1月は月19万足だったのが、1959年12月には月1千万足に。海外で人気沸騰して、国内でも有名に。
(その後、生産拠点は海外に)
・けれど、国際的な価格競争もあり、1962年の年1億2千万足をピークに激減。
・ブラジルのハワイアナスなど海外勢が人気に。
(大震災を機に国内生産途絶える)
・1995年の阪神淡路大震災で神戸市長田区が大打撃。ビーサンの国内生産が途絶えることになった。
(日本発祥のビーサンが復活)
・神奈川県出身の中島広之氏は、ビーサン誕生の地が日本と知って驚く。
・そして、発祥の地での生産が途絶えたことにショックを受けた。
・そこで、震災前にビーサンを作っていた「兵神化学」(兵庫県稲美町)と協力。
・震災時に同社社長だった羽戸氏は、焼け跡から、ビーサン作りに欠かせない金型を拾っておきながらも、スリッパ製造でしのいでいた。
そこに、中島さんから、国産ビーサンを復活したいとの話がくる。
・ついに、2015年、中島さんは、東京で国産100%ビーサンの販売を開始。社名は、「九十九(つくも)」
・そんな中、神戸市職員の増田氏は、商店街で「九十九」のビーサンを見つけて、その説明書きに「ビーサンの発祥は神戸」とあり、驚く。
・神戸市長田区と「九十九」は連携することに。
・2021年には、長田区役所にビーサン担当職員が誕生。発祥の地をPRする体制ができた。8月3日のビーサンの日には、区役所職員がビーサン勤務をして話題をさらう。
・中島さんは、「最近、イギリスとフランスから注文がきた。ゼロからのスタートだから伸びるしかない。」と楽しそう。
こんな内容でした。
ビーサンが日本発祥なんて初めて知りました!
そして、国産ビーサンの復活ストーリーは感涙もので、これはプロジェクトXのような番組で取り上げられてしかるべき話だと思いました。
ちなみに、「九十九」のサイトをみると。
「日本製ビーチサンダル専門店」と銘打って、
「神戸クラッシックビーチサンダル 1900円」
などを販売していました。
どなたか、日本製ビーチサンダル復活劇を、英語でドラマ化やアニメ化、Youtube化して、世界中で宣伝をしてくれるとうれしいです!
今回は、ここまでです。