今回は、「ガザ」での衝突の歴史的背景を分かりやすく言うと、どういうことなのか? についてです。
今回のユダヤ人とイスラム教徒の衝突 の原因となっている歴史的背景を知りたいな、と思っていた矢先に。
これについて週刊エコノミストで特集が組まれていたので、それを分かりやすくまとめてみました。(分かりやすくなってるのか自信ありませんが)
〇紀元前1020年
・イスラエル王国が栄えており、王国のダビデ王がエルサレムをユダヤ教聖地にする。
〇紀元前6世紀:バビロン捕囚
・ユダヤの地を新バビロニア王国が攻撃し、ユダヤ降伏。数千とも言われるユダヤ人がバビロンに捕囚として連行され、移住させられた。(その後、新バビロニアを滅ぼしたアケメネス朝ペルシアにより帰還が許される。)
〇紀元前70年:ローマ軍による破壊
・ローマ軍がエルサレムを破壊、征服して、ユダヤ人はエルサレムから追い出される。
⇒以後、約2000年間、ユダヤ人は土地を失い、離散した欧州などで迫害を受け続ける。
〇8世紀以降
・イスラム教のアラブ人がパレスチナに住むようになる。
〇13世紀以降
・オスマン帝国(イスラム教系だが、出自はトルコ系のオスマン家が支配層)が、アラブ人の住んでいたパレスチナを支配
〇19世紀前半:英国の3枚舌外交
・1914年:第1次世界大戦開始
・欧米にとって長年邪魔だったオスマン帝国が弱体化した機に、英国は3枚舌外交を展開
-アラブ人にはオスマン帝国に反乱を起こす代わりに、戦後の独立を約束(1915年:フサイン・マクマホン協定)
ー仏、露との間で、戦後の中東分割を秘密裏に決定
(1916年:サイクス・ピコ協定)
ーユダヤ人(ロスチャイルド家)から融資を受ける見返りに、ユダヤ人国家の建設を支持することを宣言
(1917年:バルフォア宣言)
〇1948年:イスラエル建国
ー英仏の委任統治が終了し、イスラエルが独立を宣言
ーアラブ諸国が独立阻止を目的に、パレスチナに侵攻し、4度の中東戦争に
〇1993年:パレスチナ暫定自治開始
・ガザ地区とヨルダン川西岸地区は、パレスチナ自治区とし、最終的に、イスラエルとアラブ(パレスチナ)の交渉により、国境画定、エルサレムの帰属問題、難民問題などを決定することとなった。
(イスラエルがパレスチナの存在を始めて認める)
〇現在まで:
・ガザとヨルダン川西岸は自治区であるにも関わらず、事実上イスラエルが占領地化し、ユダヤ人入植が進められている。
・ガザやヨルダン川西岸のパレスチナ人は事実上の被占領者として、イスラエル軍に守られたユダヤ人から、生命、財産への攻撃や暴力を受けてきている。国際人権団体は、イスラエルの行為を「アパルトヘイト」と認定している。
と、こんな感じでした。
ポイントをまとめると、こんな感じではないかと思います。
➢紀元前70年にローマ帝国に追われて、約2000年にわたって流浪の民だったユダヤ人の悲願であるイスラエルが1948年に建国。ガザやヨルダン川西岸(パレスチナ)もイスラエルとしては譲れない。
➢紀元8世紀以降、パレスチナに住み続けたアラブ人にとっても、パレスチナは譲れない。しかも、中立的な自治区であるはずのパレスチナは、事実上イスラエルが占領して、パレスチナ人を迫害中。
➢英国の3枚舌外交、米のリビアやサウジアラビアの石油利権を搾取(リビアはカダフィ大佐が1969年に革命、サウジは1973年にサウジ政府が石油会社の株式取得)、英国のスエズ運河利権確保といったことから分かる通り、欧米は中東(アラブ)から長期間にわたって搾取を継続してきた歴史あり
➢米・ソ連対立、米・イスラム勢力(イランなど)対立の中、石油資源の観点からも重要な中東地域において、唯一信頼できる橋頭保として、米国はイスラエルと協力
(イスラエルも、米国の議員へのロビー活動を通じて米政府への影響力を維持)
3000年もの長きにわたる難しい経緯があり、また、ユダヤ人の領土問題、アラブ人の領土問題、欧米の中東搾取の歴史、現在の欧米を巻き込む国際政治状況が複雑にからみあって、現在の「ガザ」での衝突が起こっていることが分かってきました。
このような現在進行形で続いている歴史的悲劇を、人類の勇気と知恵で乗り越えて、罪のない人々の命が奪われることが無くなることを祈っております。
また、世界史についても、パレスチナ問題から解きほぐしてみると、大きな流れをつかみやすくなるなあ、と改めて思った次第です。
今回は、ここまでです。