今回は、自閉症である内田博仁さん(15才)のお話です。
博仁さんは、重度の自閉症で、自分の身体や表情をコントロールできませんし、話すこともあまりできません。
「まるで頭と心をつなぐ重要なコードが切れてしまっているような感覚」なのだそうです。
なので、幼いころ、知能検査で質問されても、正しい答を言ったり、指さしたりすることができませんでした。
「指さす」という動作も思うようにできないのです。
それで、
「重い知的障害もあり、言葉は理解できない」
ということになりました。
ところが、博仁さんが2才半の頃。
母親の敦子さんと博仁さんが祖母の家で、知育玩具で遊んでいた時に。
祖母がボタンを押すと、知育玩具がしゃべります。
「ウーウー! 何の音かな?」
すると、博仁さんは、自分の指を動かすのが難しくても、なんとか母親の指をつかんで動かして、「パトカー」のボタンを押したのです。
「この子、分かってる!」と敦子さん。
それからは、敦子さんは、2拓で答えられる質問をするようになりました。
「冷蔵庫は飛ぶ?」
「自転車は飛行機より速い?」
博仁さんはじっと集中することができないし、パニックになったりしましたが、それでも、
「勉強するよ!」
と声をかけると自分から机に座りました。
そして、博仁さんが6才の時。
親子は障害児の教育の専門家を訪ねました。
専門家は、しばらく博仁さんとやりとりをした後、
「この子、文字を分かっているよ」
そういって、キーボード入力ができる電子手帳を博仁さんに渡して、
「何か打ってごらん」
博仁さんは、とても長い時間をかけて、
「U CHI DA」
と、自分の名字を打ったのです。
博仁さんは、母親が自宅のパソコンでキーボードを入力する様子を何年もじっと見ているうちに、文字の配列やローマ字を覚えていたのです。
それからは。
タブレットを使って文字を書く練習を始めました。
最初は、1日に一単語しが入力できませんでした。
「お母さんのこと、どう思う?」
との質問に、
「すき」
と打つことができました。
そして、何カ月も続けるうちに、2語、3語と入力できるようになります。
また、自分で本のページをめくれないし、目で言葉を追うことが苦手な博仁さんのために、敦子さんは、俳句や短い童話を読み聞かせました。
そのうちに、博仁さんは、
「頭の中で物語をつくっている」
と打ち明けます。
犬の物語で、毎日、1つ2つの文章を1年ほどかけて入力。
こうしてできた物語を文学賞に応募すると、2次選考まで通過しました。
小学校高学年の頃には、
「夢は小説家」
とタブレットで入力しました。
そしてついに、昨年11月には、北九州市の松本清張記念館が開いた読書感想文コンクールで、「或る『小倉日記』」を題材にした作文が最優秀賞を受賞。
障害のため偏見の目で見られ、それでも志を持ち続ける主人公に自身を重ねました。
博仁さんは、このように書かれています。
「僕自身も、日々孤独感と劣等感に向き合いながらも陰で毎日かかさず勉強し、話し言葉では表現できない溢れる思いを毎日文章でつづり、僕も何か人の役に立てる存在になりたいという目標を秘かにもっていた」
そして、今年3月には、北九州市主催の「子どもノンフィクション文芸賞」で、第2次世界大戦で航空兵として戦った大伯父についての作文が、中学生部門で次点の優秀賞を受賞。
この他にも、エッセーや作文のコンクールで合計9つの賞を受けるに至りました。
博仁さんによると。
「重度自閉症は甘い障害ではありません。その苦しみは、皆さんの想像を絶するものがあると思います」
だからこそ、表現する幸せを誰よりも感じるようです。
そして、
「表面には現れなくても、その子の持つ可能性を信じてあげて欲しい」
とのこと。
以上が、朝日新聞夕刊(2024/5/29)に載っていた記事を、要約・補足した内容です。
涙なしでは読めない記事でした。
そして、博仁さんの筆舌に尽くしがたい苦労と努力が、文学賞という形で認められて良かったな、と思いました。
また、博仁さんが素晴らしい文学を生み出して、小説家になれることを祈りたいと思います。
同時に。
自分や自分の子どもが、ただ健康であるだけで本当に恵まれた境遇であり、そして、博仁さんから人生を生きていくための前向きな気持ちを貰ったような気持ちになりました。
この記事を読んだ方は皆、博仁さんから何らかの元気をもらったのではと思いますし、「人の役に立ちたい」と書かれていた博仁さんは、既にそのような存在になっているんだな、とも思いました。
結びに、博仁さんの最優秀賞を獲得された読書感想文を読まれたい方のために。
「松本清張記念館 読書感想コンクール」
を検索して、開いたページの中の下の方にある、
「読書感想文コンクール特集号 令和5年度」
のタブをクリックすると読むことができます。
今回は、ここまでです。